プロフィール:脱サラはできない副業せどらーみょんの正体

似顔絵てすと

はじめまして、こんにちは 「みょん」 です !

1972年1月1日(!)生まれの42歳。
身長168センチ、体重65キロ、
血液型は絶対そうは見えないA型。

東京は目黒の生まれ、現在は神奈川県在住。
独身・・・・実はバツイチ、彼女なし。

そして、しがない小企業の万年平社員街道驀進中 orz

年々年収が落ち込む現状を目の当たりにして、

どうにかならぬものかと行動を開始しました!

紆余曲折を経て、いや今も紆余曲折中ですが、
お給料に加えて月5万円のゆとりを得るべく奮闘しています。

どうぞよろしくお願い致します。

みょんがせどりに至るまで ■幼少期から最初の就職まで

さて、もう少しみょんの事を知ってもらおうと思い、
子供時代からを振り返ってみたのですが、
実は幼少期のみょんはそれなりに幸せな時間を過ごしていたように思います。

とは言っても、両親はみょんが幼稚園に入園すると同時に離婚。
しばらくは母子家庭で旧姓?を名乗っていました。

時をおいて母は今現在みょんの父である男性と出会い再婚、
確か年中さんから年長さんに上がる頃だったので、
進級後に「田中みょん君」が「山田みょん君」になり、
事情の分からぬ園児友達相手に少々バツが悪い思いをしたりしました。

ここから高校まで、そして大学に進学・卒業するまでは、

父親が仕事で大金を取引相手に融資した挙句ドロンされたり、
連れ子の再婚って事で父方の親戚とのウマが合わなかったり、
両親とも兄弟の幾人かが放蕩三昧で父母ともに苦労させられたり、、、

なんて事があったりしたのですが、

それは子供のみょんには さしたる大事件!と言うほどの事態でもなく、
まあ口やかましい母親との思春期ならではの揉め事以外は、
案外特筆すべき話もない「のほほん」とした日々の繰り返しでした。

ちなみにみょんは「コンピュータ少年」に片足をつっこんだような子供でした。
小学生の時にファミリーコンピュータ、いわゆるファミコンが発売され、
ゲームセンターが家にやってきたかのような音と映像に心躍らせました。

その後、クラスの友達のお父さんが持っていたマイコンに遭遇、
ファミコンのそれとは別次元の動きと美麗さにさらに魅了され、
中学に上がってしばらくすると貯めに貯めたお年玉で、
自分専用のパソコンを購入しました。

もっぱらゲーム専用機と化していて、明けても暮れてもゲームばかり、
母からは遊びすぎだと小言を貰ったものです(笑
この時もっとプログラミングに真剣に取り組んでいたら・・・
もしかしたらみょんの人生はまた別なものになっていたかもしれません。

そんなこんなで大学まで出してもらって、コンピュータ好きが高じて
内製(自社向け)のシステム開発に携われる部門を持った会社に最初の就職をしたのでした・・・

みょんがせどりに至るまで ■就職戦線異常あり

最初の就職をしました、とだけ書くとあっさり決まって順風満帆に聞こえますが、
みょんが就職した平成6年度はその後にやってくる就職氷河期のプレ氷河期とも言える年でした。

前年まではどうにかバブルの残りカスが燻っていたのか、
先輩たちは上げ膳据え膳での楽勝モード、
続々と内定を勝ち取り、よりどりみどりの状況に、

「自分たちも来年はこの調子で希望の企業に!」

なんて幻想を抱いていたんです。

ところがみょんたちが就活を始めた平成5年はついにバブルの残り香も消え、
企業はことさらに採用を絞り始め、場合によっては新卒を採用しないところまで出てきました。

とにかく前の年までの就活戦法が一切通用しません!
エントリーをしようにも門前払いだったり、前年までの話にはなかった意味不明の面接試験etc…

この辺はその後の氷河期世代からしたら

ヌルい!!!!!!

と怒られてしまうかもしれませんが、、、

競技のルールが全部書き換えられて、
しかもそれがまったく周知されず、
出たとこ勝負で生き残れたやつだけが次に進める・・・

そんな暗中模索で無為な消耗戦をしいられつつも、
みょんはどうにか数社の内定を確保、その中の一社に入社するのです。

思えばこの辺りで最初の歯車にきしみが生じていたような。。。

みょんがせどりに至るまで ■就職、そして永遠の待機命令

避けようのない異常な就職戦線はどうにか切り抜けました、が、

企業の業績不振

は、なおも回復の糸口さえ見えず、

みょんが就職した会社もご多分に漏れず業績は右肩下がり・・・

当初配属を約束されていた部署は、規模縮小の憂き目に会い、
みょん自身には入社早々、研修の時点で待機命令が発令され、
最初の辞令をもらう時点でまったく希望もしない事務方に配属となったのです。

配属先は経理部門、来る日も来る日も電卓片手に伝票との格闘。
数多ある営業所の海千山千の山師のような営業マンと、
事務のおばちゃんの尻を叩きながら、
ひたすら帳尻を合わせる作業に追いまくられます。

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そうしていつの間にか入社三年目になった頃、
いい加減配置転換をしてくれてもよかろうと思っていたら、
なんと今度は希望部署から人が逆流してくるではありませんか!

思い返せばこの時点でみょんに出された待機命令は
決して覆る事がなかったわけですから、
ここでさっさと身軽に動いていればよかったのかもしれませんね。

さらに追い打ちをかけるように日計での締めを要求される、
経理部門でも一番きつい部署に転属を命じられます。

これまでよりも更にハードな日々がはじまりました。

下っ端相手では最低限の帳尻合わせすら協力する気のない営業所の面々。
計算が合わせられない事を部署員の所為にして怒鳴り散らす上司。
ろくに指導もしない癖に業務処理に一々駄目だしをする先輩社員。
休憩・休暇・退勤を好き勝手にして仕事をやり残すお局軍団。

これらをどうにかしようとすれば必然、残業の嵐となるわけですが、

サービス残業

を当たり前の様に社長レベルで宣告してきます。

今思えばこれ、労基署に言って一悶着起こしてみてもよかったかも、なんて思います。
だって堂々と、
事務方は生産性が無いからサビ残で黒字化に貢献しろ
って言ってのけたんですからね(苦笑

とにかく、そんな劣悪な状況で決算を乗り越えようとさらに残業を重ねるはめになり、
ついには会社に泊まり込みを余儀なくされる事態にまでなりました。

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こうして呆れるほどモチベーションの下がる中間決算は乗り越えましたが、
みょんの精神はほぼ限界に来ていました、、、

忙しいことは嫌いじゃない、大変でもやりがいがある仕事がしたい、
そんな風に思っていましたが、現実は孤立無援で答えが合わない事がわかっている
単純作業の繰り返しばかり。。。
もちろんその労苦に見合うサラリーは貰えません。

当時みょんは大学時代から付き合っていた女性と結婚していましたが、
つまらない仕事に忙殺され続け、未来が見えない状況に一家の主、妻帯者として、
非常に焦りを感じていました。

その時は奥さんと共働きしていたので、
当面の収入が困ったことになったわけではありませんが、
ただでさえ安い給料が一向に上がる気配もなく、仕事量は増える一方、
これが10年20年と続いてやっていけるわけがありません。

いよいよ辞めるしかない、そんな風に思っていた年の瀬。
学生時代に知り合ったとある小さな会社の社長とばったり再会したのです。

閉塞感にさいなまれて居たみょんは
思わず自分の苦境をその人に吐露しました。。。

みょんがせどりに至るまで ■転職、地獄からの脱出とたどり着く楽園

その社長はひとしきりみょんの話を聞くと、間髪入れずに

「ならうちで働かないか?」

と言ってきました。

なんでも小さい会社なりにIT化を進めているらしく、
さりとて大手のSIに丸投げした業務処理システムは、
コスト高で使い勝手も悪いものを押し付けられたようで、

ならば内製でできるところはこなし、
足りない部分を解る人間を介してSIerに任せていく、、、
そんな方式を採用したいとのことでした。

さらにまだ当時は黎明期と言ってよかった
インターネット(Web)についても興味を持っていて、
ウェブサイトの構築・運営・管理も任せる人間を探してるとのこと。

「お前できるか?」

との問いかけに、みょんはすぐさま
システム改善の提案書とウェブサイトのモックアップを提出して応え、
晴れて今の会社に転職することと相成りました。

無間地獄から脱出、そして辿り着いた先は楽園のようでした。
しかし最初に生じた軋みはこれで果たして解消されたのでしょうか・・・

みょんがせどりに至るまで ■楽園の日々、しかしやってくる終わりの始まり

転職してからの5年ほど、特に最初の3年間はそれはそれは充実していました。

毎日が学びであり

毎日が実践であり

要望に応えると、それが自分へ結果となって返ってくる

仕事の達成感、そして働きに見合うと思える報酬、努力が報われる感触、、、
働き始めて初めて楽しいと思える至福の時でした。

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小売業の会社なので一番評価されるのは最前線の販売員やバイヤーですが、
事務方で散々クソミソな目にあってきたみょんにとっては二番手三番手でも
十分手厚い待遇に思えたものです。

実際、業績が伸びれば夏冬の賞与は増額、期末に十分な利益が出ていれば、

「どうせ税金に持っていかれるんだし」

と言って追加賞与で還元、社員旅行も豪華温泉旅行から海外までと、
やればやった分のリターンがある、そんな時代でした。

ここまでされて頑張らない人間はいません、
みょんは勿論、それ以外の社員もそりゃあ懸命に働きました。
そして業績はどんどんと伸びていきます。

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前の会社でうなだれていたみょんが嘘みたいに自信を持てるようになりました。
それは多分無名の会社であっても仕事への充実感と十分な収入が背景になっていたんだと思います。

多少背伸びをすることになっても、自分よりあらゆる面で格上の人たちとも
怖じける事無くお付き合いできましたし、金銭的な事で萎縮することもありませんでした。

この頃は夫婦仲も悪いもんでもなく、この後待ち受ける運命など知る由もない、平凡でも幸せな日々を過ごしていました。

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でも楽園はいつまでも楽園ではありませんでした・・・
いや楽園は楽園のままだったのかもしれません。
ただ、みょん達が楽園から放逐される日がやってきたのです。

そう、当時の経営陣の

二代目ボン

たちが相次いで入社してきたのです。

歯車の軋みは徐々に大きく、それでいてまだ人の耳には聞こえない音をたてて壊れていきます。

みょんがせどりに至るまで ■楽園喪失

ここから先は多くを語る必要はありませんね、、、

いよいよ軋んだ歯車が大きな音を立てて壊れていくのがわかりました。

ボン達が昇進すればするほど、みょん達の給料が下がっていく反比例現象。

いくら利益を上げても、むしろ上げれば上げるほど、
経営陣は自分の懐にそれを納め、余った分は設備投資と称して、
従業員の給料以外のところで浪費していく、今どきの企業経営の縮図です。

まさに「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」状態。

増収増益でのベアゼロが何度も繰り返され、
基本給は10年で数千円しか上がっていませんし、
賞与はもはやその存在を抹消されたかの如しです。

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こうして再びみょんの心は荒んでいきます。。。

金銭的な余裕がなくなると、精神的にも余裕がなくなります、
自信も失い、これまで背伸びしてお付き合いしていたような人たちとは
すっかり疎遠になってしまいました。

しょぼくれ、うなだれるようになったみょん、
負のオーラを放ってる人間からは人は離れて行きます。。。
友人・知人随分失いました。

そんな時、行きつけの飲み屋の顔見知りのお客さんに言われました、

「みょんさん、あんたやばいよ、顔が『鬼の形相』になってる」

・・・なんでもそのお客さんと普通に談笑してる時にも、
顔がまったく笑っていなかったらしいです。
ストレスで表情の筋肉が硬直してると起こる現象に気がついて、
このままじゃまずいと忠告してくれたのでした。

努力がまったく報われず、砂浜が波で侵食されるように収入が削られていく現実、
みょんの心はそんな現実に蝕まれて病んでいたのかもしれません。

みょんがせどりに至るまで ■あれこれ試すも身にならず

もちろん、漸減していく収入を前にただ手をこまねいていたわけではありません。

副業と言うか、スキマ時間で収入を上げられるのでは?と
株やFXに手を出してみたこともあります。

FXは求められるスピード感にみょんの生活ペースがついていけず、すぐに断念。
株の方は数年やりましたが、ザラ場が見られない状況だと
相場の急変に対応できずに損をすることもしばしば、
さりとて安定銘柄では月の小遣いを稼ぎ出すのも一苦労、、、

結局預貯金代わりに持っていた僅かな株は損はしなかったものの、
住宅ローンのボーナス払いの為に現金化していくうちに無くなってしまいました。

日払いのバイトもやってみましたが、完全週休2日ではないみょんにとって、
僅かな休みと多大な労力を費やした対価としては、得られる利益は少ないものでした。

iPhoneアプリの開発で小遣い稼ぎを目論んだこともあります。。。
もっともこれは技術的興味の方が大きかったのですが、
結果的には参入のタイミングが遅く、
時代は既に企業による大規模開発・プロモーションが必然、
初学者のサンデープログラマーが勉強がてらちょっと便利なものを作って稼ぐ!
なんて事は通用しない時期に来てしまっていました。

※ちなみにお金にはなりませんでしたが、2本は作って一本は無料でリリース、もう一本は残念ながらリジェクトでした、いい経験でしたね(笑

ついには神頼みレベルで「ロト6を購入」する事に血道を上げる始末。
わずかな額を買い続け、いつか当たったら人生一発逆転だ!などと妄想に走っていました。

みょんがせどりに至るまで ■そしてせどりを知り、始める

しばらくは根拠の無いロト6妄想で現実逃避する日々が続きました。。。
当たるわけのないくじを握りしめて公式サイトをチェックしては
がっかり肩を落として次に期待する。

典型的な駄目なやつです

そんな時、ひょんな事から・・・そうこれはもう本当に「ひょん」な事から、
とあるブログ記事の横に貼られていた
米国Amazon向けせどりツールの広告を戯れにクリックしたのです。

この手のツールにありがちな長々とした広告でした、が、
みょんは最後まで一気に読んでしまいました。
・・・いやあまんまと広告戦略にはまってますね(w

利益例として上げられているものは、
その場で調べてみても”ハズレ”と化したものが大半でしたが、
中には幾つか利ざやがあるものが散見されます。。。

なるほど、問屋や卸筋で無くても仕入れができるのか

事務方とは言え小売業の端くれのみょんにはビビッと来るものがありました。
仕入れルートが確保できるなら、後は販売ルートの確保ですが、
これはどうやらAmazonそのものが巨大なモールの肩代わりしてくれるのです。

ならばと早速ツールを購入、、、結局そのツールはお蔵入りになるわけですが、
ここでもういいや!諦めなかったのは天啓でしょうか?

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以下ループ

こうしてせどりに関する知識をどんどん吸収していったみょんは、
さらに行動を進めていきました。

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無料レポートにあったブック○フでの本せどり手法を試し、
自宅の蔵書で処分できるものも検索、
日本のAmazonへの出品登録を済ませ出品してみると・・・

なんと数日のうちに一件の注文が入りました!

さらに立て続けて3件ほどの注文が入り、数千円の売上になりました。
無料レポートのせどり手法を知ってから一週間あまり、

やれるぞ!

と言う結果を得られたのはラッキーだったのかもしれません。

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これが2013年10月頃の話・・・その後DVDせどりの教材を購入し、
その教材を購入した時のアフィリエイターさんを師匠と仰ぎ、
本格的にせどりを始めたのは昨年の2013年の12月。

活動開始早々に、自分の不注意で交通事故に起こしてしまったりして、
出品できない日々が続いて売上ダウンなどのアクシデントもありましたが、

やればできる

と言う、考えて行動することで結果がついてくる感触を得て今に至ります。

このブログにはそんなみょんが試行錯誤を繰り返しながら、
会社のサラリー以外で

「月5万円」

を稼いでゆとりを持とうとする記録が残っています。

同じように減給され、ゆとりを失いつつある貴方の一助になれば幸いです。

2014年3月吉日

みょんのせどり略歴

13年の12月が本格始動で、まだまだ駆け出しのみょんですが、
14年3月までのせどりに関する略歴を載せておきますね。

2013年9月
せどりの為の準備を始める
準備期間のため出品はしていないので特別な実績はなし

2013年10月
Amazonへの登録を済ませ、出品作業の習熟を兼ねて手持ちの商品を販売。
3点、約10000円の売上達成

2013年11月
仕入れに慣れることを重点に活動。
本せどりからCD/DVDせどりへの移行を決める。
7点、約13000円の売上達成

2013年12月
11月から仕入れてきたDVDを中心にFBAで本格販売を始める。
36点、約96000円の売上達成

2014年1月
12月にさらにFBAへの納品を増やし販売力を高める
44点、約200000円の売上達成

2014年2月
前月の終わりに起こした事故でせどりの作業が不能になる、
事実上、12月までの納品在庫をFBAで売った結果。
15点、約70000円の売上達成

2014年3月
少しずつ納品を進められるようになり、売上が回復する
45点、約270000円の売上達成

※これ以降は実績報告ページを作って都度報告していきたいと思います。

映像作品を観ることは好きですが、あれが売れる、これが高値だ、
なんていうことには興味も関心もなかったみょんでもゼロから始めてここまで出来ました。

始めてみれば貴方にもきっとできるはずです!

みょんはどうして脱サラできない・しないのか?

ここまで読んでくれた方は多分こう思うんじゃないでしょうか?

そんな酷いことになる前に辞めてしまえば良かったのに?!

確かにその通りかもしれません、でも人間って一度成功体験すると
そこから抜け出せないんですよね・・・

みょんの場合は「利益が上がって業績が好転すればきっと収入も増える」と
思い込んでしまい、今に至ってはもはや転職もままならない年齢になりました。

かつての業績上がる>給料上がるのパターンを頭から外せなかったんですね。

現実には役員が倍増すれば利益も倍になるかと言えばそんなことはなくて、
利益は大して変わらないのに取り分(取られ分)だけは増える構図です。

どう考えてもいくらでも替えが利く従業員に手厚く支払うわけがありません。

しかし今動いて(転職)みたところで、現状と同等かそれ以上のサラリーを貰える可能性は低いんです。
せどりも始めたばかりでこれ一本で食っていけるまでには至りません。

つまり現状は維持、不足分をせどりで補うのが最良だと結論づけました。

そんなわけでみょんは当面脱サラはできないのが現実です。
まずは副業として「月5万円のゆとり」を達成するために精進していきます。